*ことりーぬ日記*

目標は優しく可愛いおばあちゃん*おうち喫茶とハンドメイドと映画を主成分とする日々の暮らしを綴ります*

*内向的である私を受けいれる*

ブログを書くタイミングとはどんな時なのだろう。

 

誰かと話したくなったものの誰もそばにいない時。

とか

 

誰かがそばにいるにはいるけれども、この人に話しても共感してもらえる確率はほぼ無いと思われる時。

とか?

 

頭の中にある言葉を文字にして外に表すと、脳内の循環が良くなる気がする。

 

思い、お金、ゴミ、なんでも溜め込むのは良くないみたい。

 

とくに内向型の人間には脳内の健康を維持するためにも、書くことは必要な作業だ。

 

内向型の人間は人や出来事の外面的な動きよりも、内面的な動きにより注目している。

 

場の雰囲気のニュアンスも人の感情の揺れ動きも敏感に察知するため、

 

感じ取った様々なことが言葉となって頭の中にどんどん溜まっていくものだ。

 

けれども、溜まった言葉を声に出して饒舌に表現する大胆さは無いので、

 

日記やブログという形で外に出していく作業が気持ちよく感じられるのかもしれない。

 

内向型と外向型を意識するきっかけは中学校の保健体育の授業だった。

 

教科書の「内向型と外向型」を興味をもって読んだ記憶がある。

 

おそらく「思春期の心の発達」的な章であつかっていたような気がする。

 

「疾風怒濤」というインパクトある言葉もそこで覚えた。

 

私は自分が内向型人間だと瞬時にわかったけれども、それを隠したいと思った。

 

内向型は陰気でネクラ。

 

今思うと、単純すぎるし乱暴すぎる決めつけをしていたからだ。

 

明るく陽気で、細かいことは気にしない、おおらかな外向型人間になろうとして、嘘の自分を演じた時期もあった。

 

けれども50代になってようやくだけど、内向的な自分を快く受け入れるようになっている。

 

内向型の字が説明している通り、内向型人間は心の中や感情の動きといった「内側」に意識を向けるタイプ。

 

決して陰気でネクラという意味ではない。

 

外向型人間の社交性やダイナミックな捉え方も

内向型人間の思慮深さや繊細な感覚も

どちらも必要なのだ。

 

どちらかが欠けると、社会的に不安定になりそうだ。

 

ネットで検索したら、次の文章を見つけた。

 

*外向型と内向型の決定的な違いはエネルギー源である。

 

内向的な人はひとりの時間に癒され、外向的な人は他人と過ごすことでエネルギーを充電する。*

 

これは、まちがいない。

 

けっきょくのところ、乱暴にまとめると、内向型人間は陰気キャラであると分類されるのかもしれない。

 

それも良しとしましょう。

 

今の私は内向型人間であることを快く受け入れることができる。