*ことりーぬ日記*

目標は優しく可愛いおばあちゃん*おうち喫茶とハンドメイドと映画を主成分とする日々の暮らしを綴ります*

*泣きたい日々を支えてくれた人とサボテンの思い出*

小さなサボテンを買った。

 

 

サボテンを見るたびに思い出す人がいる。

 

はじめて勤めた中学校の生徒だった西くん。

 

西くんは軽度の知的障害があり、支援学級ですごす時間が多かったけれど

一般クラスの授業に参加することもあった。

 

私の57年の人生の中で、思い出すのも辛くなるような時期というのは、三回ある。

 

人生を表す曲線グラフで言えば、最も低く落ち込んでいる地点。

調和ではなく不調和な時間。

うまくできないことが多く、心が苦しかった時間。

 

中学校の教師時代はまさに私のワースト3に入る時期だ。

 

生徒も荒れていたが、職員室も荒れていた。

いわゆる組合のメンバーが多いらしく、職員会議ではいつも誰かが怒鳴っていた。

主義主張を強く抱くのは悪いことではないが

攻撃的すぎたし、威圧的だった。

みんなにとっての最善策をさぐる話し合いは、いつまでたってもできなかった。

野蛮だと感じていた。

 

校長先生はストレスが原因で帯状疱疹を患っていた。

 

新任教師である私を慕ってくれる生徒もたくさんいたけれど、

授業をまともにさせてくれない生徒達もいた。

私は悩み、もがいていた。

泣きたかった。

 

そんな試練の日々にも、励ましてくれる人々や癒しとなる優しい時間が与えられていた。

 

それは神様の配慮だと思う。

神様は、というか人生は決して甘くない。

けれども、試練を乗り越える時に支えとなるようなものを

さりげなく用意してくれたりするものだ。

 

学校には20代の独身教師が8人いた。

彼らと話したり、ご飯を食べたり、カラオケでストレスを発散したりした。

とても助けられていた。

 

そして、特別支援クラスの生徒達が私は大好きだった。

支援クラスの部屋はいつも穏やかで平和な空気が漂っていた。

植物を育てたり、かめの世話をしたりしていた。

二年生の一般教室の荒々しさとは別世界だった。

 

休み時間や放課後に、支援クラスの生徒達とおしゃべりをしたり

冗談を言い合って笑うのが好きだった。

「あら、タカちゃんのヘアゴム、今日も素敵でございますわねぇ」

少しおどけて話しかけると

「あら〜、ことりーぬ先生こそ、可愛いお洋服でございますわよ〜」

なんて答えてくれて・・・。

 

たったそれだけの会話で、コロコロ笑い転げていた。

癒されていた。

 

私が学校をやめる時、たくさんの生徒が花束をくれた。

給料で買った軽自動車の後部座席もトランクも花でいっぱいになった。

 

 

職員室の私の席に西くんがやってきた。

西くんは後ろ手に何かを隠していた。

「せんせい、こであげる。」

西くんが差し出したのは小さな鉢植えのサボテンだった。

西くんの丸坊主とサボテンは少し似ていた。

 

私は泣きながら笑って、西くんと長めの握手をした。

 

教師をやめた一年後、私の部屋でサボテンはピンクのかわいい花を咲かせた。

 

30年の時が流れた今でも

サボテンを見ると西くんのクリクリとした丸い目を思い出す。

 

 

この子も花を咲かせますように・・・。

 

季節の変わり目ですね。

手洗いうがいを丁寧にしたいものです。

みなさま、どうか健やかに今日という日を生きぬきましょうね。