*ことりーぬ日記*

目標は優しく可愛いおばあちゃん*おうち喫茶とハンドメイドと映画を主成分とする日々の暮らしを綴ります*

*小鳥のお墓に花を捧げ、祖母を想う日*

台風の後、庭で小鳥が死んでいた。

 

 

田舎暮らしなので、たまに見る光景だ。

 

野生の生き物は台風を生き抜く知恵とチカラを持っている。

けれども、避けようのないハプニングもあるだろうし

もともと体が弱っていたところに強風が襲ってきたのかもしれない。

 

うちの庭で最期の時を迎えたのだろうか。

あるいは、草むらで息絶えていた小鳥を猫やカラスが運んできたのかもしれない。

 

いずれにしても、庭で死んでいるのをこの目で見てしまったので

小鳥を埋葬した。

 

 

お墓をつくって花を飾った。

 

小さな子供の頃は「死」はとても恐ろしいものだった。

けれども15歳の時に母が亡くなった後は

「死んだら全てが消え去る」とは思いたくないから

 

肉体は消えたけれど、どこかで母は見守ってくれている、とか

きっと天国で天使のようなお仕事をしているのではないか、とか

長い時間が経過したあとには、

新しい命となってふたたび地球に生まれてくるのかもしれない

 

などと考えるようになったので、

「死」はそれほど怖いものではなくなった。

 


とは言っても今ここで、余命一年です、と宣告されたとしたら

私はどんな反応をするのか、どんな感情がわき起こり、

どんな風にそれを受け入れていくのか・・・・・

 

その立場に置かれてみなければ決してわからない。

 

ひとつ、理想としている人生最期の迎えかたがありまして

それは大好きだった祖母の姿なのですが

 

89歳の祖母は、その日の朝もいつものように

着心地の良いお気に入りの服をきて

自分のための朝食を用意して、テーブルに並べていたそうです。

 

さらに緑茶を淹れて、湯飲みをテーブルに置き・・・・・・・・・・

そこで意識が遠のいて、息を引き取ったようでした。

 

これが私のお手本とする最期の迎えかたです。

自分で身支度を整え、自分のための食事を作り

静かで穏やかな日常を続けているその途中に

ふんわりと「死」が自然に訪れる・・・

 

そんな感じでしょうか。

 

お手本通りにいくかどうか、これまた誰にもわからないことですが

言霊にはチカラがあるといいますし

イメージできることは現実となる可能性が高いともいいますし

 

57歳の私は、このようなことも思い描いたりするわけです。

 

夏の暑さ疲れがたまってくる時期です

どうか皆様、無理をなさらず

こまめに休息をとりながら

今日という日を健やかに生きぬきましょうね。